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2017/ 7/30  Up
人と街が伝える戦争の記憶

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かつて戦火に包まれた神戸・三宮
8月15日は、72回目の終戦記念日です。
当時、神戸は度重なる空襲により、死者約7,500人、負傷者約1万7千人にも及ぶ大きな被害を受け、ほぼ壊滅しました。
戦後70年以上が過ぎ、当時を知る世代は少なくなり、街並みもずいぶんと変わりました。
しかし、今でもその痕跡は神戸に残っています。
私たちの街で起きた戦争の跡をたどってみませんか。

今も鮮明に残る焼夷弾の恐怖と母の愛情
西阪順三さん
中学1年生だった私は、JR三ノ宮駅の北側に住んでいました。
6月5日の空襲では、阪急三宮駅が燃え上がったのを皮切りに、雨がトタン屋根をたたくような「ザー」という音とともに、数え切れない焼夷弾が降り注いできました。
生田神社の鳥居前で煙に巻かれ倒れたお年寄りたちにつまづきながら、火の海の中、泣いて走ったことを覚えています。
父とは避難所で再会できましたが、母と2人の姉は空襲の犠牲となりました。
その後、伯母宅に疎開した日の夜、伯母の夢に私の母が出てきて「息子をお願いします」と言って消えていったと聞きました。
85歳になった今でも母の深い愛情を忘れることはありません。

街に残る戦争の爪痕
今ではビルが立ち並ぶ中央区でも、戦争の爪痕が残っていることを知っていますか。
今回は、空襲にあった建物や記念碑などの場所をまとめた平和マップを作成している、「神戸平和マップをつくる会」の小城さんに話を聞きました。

機銃掃射の補修跡
海岸ビル(海岸通3)
建物の壁面にある丸い跡は、米軍戦闘機の機銃掃射によるものです。
この建物を爆弾で破壊しなかったのは、占領後に利用するためだったといわれています。

動物宿舎の跡
諏訪山公園(諏訪山町1)
ここには動物園がありました。
当時、戦争による混乱で動物が逃げ出す危険性があったため、「これで安心」という口実の下、クマやライオン、ヒョウやトラなど20頭が絞殺や毒殺されました。

爆弾で破壊された敷石
神戸教会(花隈町9)
教会前の溝をふたしていた敷石が保存されています。
かつて日本軍は教会を強制的に取り上げ、目立たないように外壁を黒く塗り変えて、司令部として利用していました。

焼夷弾で焼けた東門脇の切株
生田神社(下山手通1)
6月5日の空襲で、神社周辺は1畳当たり10〜15発もの焼夷弾が突き刺さっていたといわれ、大きな防空壕に逃げ込んだ市民も犠牲になりました。

神戸平和マップをつくる会 小城智子さん
戦争を体験した人々が少なくなり、語り伝えることが難しくなりつつある今、戦争の実態を知るきっかけになればと思います。

平和マップ
各区2部ずつ、A3判。
1部250円(税込)。
(財)神戸学生青年センター(灘区山田町3)で購入することができます。

詳細はTEL851-2760、FAX821-5878

大きな被害をもたらした戦争の悲惨さ、家族や友人、自分自身の命の尊さに思いを巡らせ、次の世代にも伝えていかなければなりません。


戦争について学ぶ
戦災関連資料展
神戸空襲に関するものを中心に、皆さんから寄せられた焼夷弾の破片や防毒マスクなどを展示。
また、終戦後、米軍が撮影した神戸の被災状況のカラー映像を上映します。(約20分)
場所は中央図書館
料金は無料
日時は8月8日(火曜)〜13日(日曜)9時15分〜20時(11日(金曜・祝日)・13日(日曜)は〜18時)

神戸 災害と戦災 資料館
戦争の体験談や写真などをホームページに掲載しています。
市は、体験談や写真などを随時募集しています。
ホームページ

神戸空襲で死没された方々の情報提供をお願いします
対象は神戸空襲(昭和17年4月〜昭和20年8月)で亡くなられた方
集めている情報は死没者の氏名・性別・死亡時の年齢・被災場所、連絡者の氏名・住所など
提出方法は電話で問い合わせ先へ
※寄せられた情報は、死没者名簿を編さんしている「神戸空襲を記録する会」に提供します。
また、死没者の氏名を刻んだモニュメント「いのちと平和の碑(大倉山公園内)」に刻銘されます
※遺族などが希望しない場合を除き、死没者の氏名・性別・死亡時の年齢が公開されます

問い合わせ先
行財政局総務課(TEL322-5062、FAX322-6015)

※ 神戸市の市外局番は、特に記載のない限り078です。

「広報紙KOBE」より転載