1995年1月17日午前5時46分、淡路島を含む阪神地方一帯を襲った阪神・淡路大震災では、神戸市内を中心に6433人の方々が亡くなられました。
阪神・淡路大震災は戦後最大の自然災害であり、350万人余りの人口が密集した都市部で発生した都市直下型の地震として、私たちに多くの教訓を残しました。
今回の“行ってみました”は、阪神・淡路大震災の教訓を後世に継承し、これからも起こると予想される災害の被害を軽減しようと設置された「阪神淡路大震災記念 人と防災未来センター」に、阪神・淡路大震災から8周年を迎えた1月17日に行ってみました。そして、神戸市内で開かれた追悼の催しにも参加させていただきました。
1月17日早朝、兵庫県内の各地で追悼の催しが開かれ、神戸市中央区の公園「東遊園地」でも、「震災8周年 阪神淡路大震災1.17のつどい」が行われました。午前5時、同遊園地の一角に常設されている、追悼と復興を願うモニュメント「1.17希望の灯(あか)り」のガス灯から分灯された大きなろうそくが会場に向かいます。
その炎を、犠牲になられた方々と同じ数で「1.17」の形に並べられた竹筒の中のろうそくに、参加者の手で次々に点火。竹筒の中には「復興」「絆」「思いむすびつなぐ」「仲間・つながり」「やさしさ思いやり」などと、それぞれの思いが込められた文字が書かれています。
会場の照明も落とされ、ろうそくの炎が揺らめく中で、午前5時46分の時報とともに参加者全員が黙祷。
多くの遺族の方々などが静かに祈られ、会場は厳粛な雰囲気に包まれました。
私も、以前にお話を聞かせていただいた方々のことや、いろんな機会に目にした被災者の方々の手記などが思い起こされ、思わず涙がこぼれてしまいました。
続いて、「慰霊と復興のモニュメント」前では、矢田立郎・神戸市長や遺族代表の加藤いつかさんらが追悼文を読み上げました。
中でも、矢田市長の「皆さまとともに一日も早い完全復興を成し遂げ、神戸の新たな飛躍に向けて進んでいくことが、亡くなられた方々に報いる唯一の道と信じます」との復興への誓いや、当時小学6年の妹さんを亡くされた加藤さんの「ある人は親を、ある人は子どもを失いましたが、残されたものもあります。優しさ、思いやり、きずな、仲間。そのことを忘れずに生きていくこと、『ちゃんと一生懸命、生きたよ』、そう伝えられるのは残された私たちにしかできません」との言葉が強く印象に残りました。
「つどい」が終わった後も、たくさんの人たちがろうそくの周りを離れずにいました。
私も再度、ろうそくの炎の前に立ち、犠牲になられた方々への追悼と、一日も早い神戸の完全復興を祈らずにはおられませんでした。
そして、立ち去りがたい思いの中、ようやく夜も白々と明けた午前7時過ぎ、東遊園地を後にしました。
前日夜の天気予報では、「午前5時の気温は5℃。寒さは緩むでしょう」と伝えられていましたが、実際には厳しい冷え込みとなり、吐く息も白い状態。若干の防寒対策はしていたのですが、1時間もいたら寒くてどうしようもなくなってしまいました。
手袋をし、コートの前を合わせても、それでも寒い。体が震えます。
阪神・淡路大震災が発生した日も凍てつくような寒さだったといいますし、以後も厳しい寒さが被災者の方々を苛(さいな)みました。その時の被災者の方々のつらさを思った時、再び目頭が熱くなってしまいました。
|
東遊園地の一角に常設されている、追悼と復興を願うモニュメント「1.17希望の灯り」
参加者の手によって次々にろうそくに点火されていきます
黙祷の際には、手を合わせて祈っている方もいらっしゃいました
さまざまな思いを込めて、多くの方々がろうそくに火を灯していきます
ろうそくを浮かべている竹筒には、思いを込めた文字が書かれていました
東遊園地にあるモニュメント「マリーナ像」は阪神・淡路大震災で倒れ、時計は発生時刻の5時46分を指したまま止まっています
|